2021/5/20

昔の話・・・

懐かしいマージャンの話

昨日、マージャンのことを書きましたので続きを。マージャンを覚えたのは、高校3年の終わりの頃で、友だちの家で集まってやっていました。最初他の人の打つのを後ろで見ていたのですが、あまり面白そうではなかったのですが・・・現役での受験が終わり、3月早々には浪人することが決まっていました。他はまだ受験の最中なので遊んでくれる人もいなくて、しばらくはパチンコに通っていましたが、家に帰ると、私は、たばこは吸わないのですが、たばこの臭いがくさいと言われ(パチンコホールは今以上にたばこの臭いがひどくて)行く回数が減りました。4月になると福岡の予備校に行くようになり、初めは張り切って勉強するぞ!と思っていたのですが、長くは続かなくて・・・一緒に福岡に行っていた連中も博多駅に着くと、そのままパチンコに行っていました。今考えると、何と親不孝な者ばかりだったのか・・・と。

6月過ぎると、博多まで行くのも面倒になって、予備校に行かなくなりました。

同級生の一部(名誉のため?)だけですが、朝からパチンコに行って、午後からマージャンをやるメンバーがいたので、一緒にやるようになりました。普通は雀荘で2卓でしたが、多いときは4~5卓囲んでいました、もちろんみんな浪人です。後で聞いたのですが、浪人中にマージャンをやっていたのは、私たちの時だけだそうです。ほぼ毎日夕方7時くらいまでやります。秋頃になると、帰り際に「もう、今日で最後だから」と誰かが言うのですが、翌日昼頃に行くと「今日は遅いやんか」と。この状況が受験前日まで続きました。これ以外に月に2~3回誰かの家で徹マンやって、朝ご飯をごちそうになって家に帰っていました。あらためて考えても親不孝の集まり、でしたね。

その結果、みんなどうだったかというと、16人ほどいて、受かったのが8人、2浪したのが4人、残念ながらそのまま就職したのが4人です。後悔しているかどうかは聞いたことがないけど、会えば「あの時は楽しかったね」というが・・・中学校の時から同じクラスで仲が良く、私より成績良かった友人がいたけど、彼は後悔していただろうと、思う・・・ただ、マージャンやらなかったらもっと勉強したかと言われると、たぶん、やっていないと思う、ある意味、ストレスの発散だったと思っているが・・・
 
勘違いされるといけないので、勉強しなかったように思われるので、予備校にあまり行かなくなった頃から、高校の時の英語の先生から「俺のところに勉強しに来い」と言われて、1対1じゃ嫌なので、友だちを2~3人誘って一緒に行きました。途中で抜けることができなくて休んだこともありますが。毎日5時間ほどは勉強するようにしていましたが、さすがに9月頃、このままだったらどこも受からないのではと不安になり、毎日夜9時頃から朝まで勉強していました。他の人はどうだったか・・・?一番成績の良かったのは山口大医学部志望でしたが、広島大(理)に行きました。他は高知大(農)防衛大、立命館大(理工)(経営)西南大、福岡大などです。みんな昔に戻れても同じことはやらないだろうなと思う。