2022/2/21

昭和の時代

西郷輝彦さん

子どもの時の昭和の大スターの訃報です。御三家と言われて、舟木一夫さん、橋幸夫さん、そして西郷輝彦さん、それぞれに個性があり懐かしいです。昔活躍されていた人たちの訃報を聞くと寂しくなりますね。時の流れとはいえ、残念です。

そう言えば、話は違うけど、橋幸夫さんの甥っ子と勤めていた保険会社で一緒でした。彼とは別の会社で新卒の就職面接で一緒になり、その数年後に偶然、研修中にお互い会ったことがあるかもと思っていて、話したら、そうでした。お互い転勤で研修や会議などでしか会えなかったけど、今どうしているのかな?

体調不良

木曜日に夕食を食べて、急にお腹が痛くなり、夜寝ていても痛くて・・・金曜日は少し落ち着いたのと、もともとお腹が弱いので注意をしているし、お腹を壊しても長引くことはほとんどないので治まるかと思っていたのですが、土曜日になって治まりかけていたのが、また痛くなりました。日曜日は最悪でずっと鈍痛でした。それで今日心配になって診てもらいに行きました。結果、疲れなどで腸が弱っているのではと薬をもらって、少しほっとしています。途中、熱はなかったのでコロナではないだろうと、でも少しは心配でした。コロナもあるので、診療所はどうなのかと思っていましたが、普通どおりのようでした。もう若くないので、よりも、もう年寄りなのでいろいろと気を付けなければと、思う・・・

受験の続き

高校3年の秋頃に友だちの家に集まって、誰が言いだしたのか、始めたのかわかりませんが、麻雀をやるようになりました。最初は後ろで見ていたのですが、ちっとも面白さはわからないし、麻雀で徹夜するというのもよく理解できませんでした。ただ、よく集まっていたし、負けるのも癪なので、本を買って基本を覚えました。さすがに年を越えると受験勉強で、この時は中断しました。浪人が決まると、私は、福岡の親不孝通りの予備校に行くことにしました。当時、今でもあると思うのですが、福岡県の多くの進学公立高校には予備校がありました。国立大が目標なので行きませんでした。福岡へは3か月ほどは真面目に通ったのですが、途中から予備校まで行かなくて、現役の大学生もいましたので、博多駅の近くで麻雀をやるようになりました。そのうち博多まで行くのが面倒になりだんだんと行かなくなりました。地元でメンツが集まるようになり、ほぼ毎日、昼過ぎから夜7時過ぎまで雀荘にいました。地元の浪人生は、午前中にパチンコに行って、午後から雀荘に行くパターンが出来上がっていました。だいたい3卓か4卓で全部浪人生です。高校の先生からこんなに大勢がやっているのは初めてだと呆れられていました。受験が近くなっても続きました。つづく、です。