2022/5/10

田舎に帰りました

ゴールデンウイークが終わりました

4年ぶりに福岡に帰りました。2年前に従妹が亡くなり、コロナでお悔みにも行けずにずっと気になっていました。小学生の頃から中学生になるまで、休みになると母の実家、秋月に行き一つ違いでしたのでよく遊びました。残念です。

高校時代の友人とも会いました。コロナなので多くには声を掛けられなかったので、仲の良かった3人と何年振りかの再会です。話によると、「さとしが帰ってくるからとみんなに声を掛けたけど、人気がないのでみんな出て来なかった」と言われました。「この3人は、いつも会っているのでどうでもいいけど、さとしが帰って来たからしょうがなく出てきた」とも・・・何と言われようとも昔からめげる(落ち込む)人間ではないので、短い時間でしたが若い頃の話で盛り上がりました。こういう時には、田舎はいいなと思う。

18歳まで住んでいた街、飯塚は昔の商店街はすっかり寂れていました。あれほど活気があったのにどうしたのだろうと思うくらいのシャッター街です。小学校も小さく見えました。私たちの頃は、校歌に「健児2千のはらからよ♪♪」とあり、実際に2000人ほどいたと思います。今、街の中心は郊外に移り、昔は田んぼだったところのバイパス沿いに全国チェーンのお店が並んでいました。この頃はどこの街でも同じような光景ですね。

博多の街もいっぱいの人でした。駅も人でごった返していました。時間に余裕があり過ぎてどこに行こうかと思い、これも昔懐かしい太宰府天満宮に行ってきました。受験のシーズンが終わったのでいつもほどの混みかたではないようでした。梅が枝餅を食べ、幼稚園の時、60年以上前に行った遊園地の前まで行き、近くにある国立九州歴史博物館に初めて行きました。古代からの展示があり邪馬台国に興味があるので、これもまた楽しいひと時でした。大宰府から二日市に出て、原田(はるだ)経由の筑豊線、昔は筑豊本線で飯塚に向かいました。昔、飯塚から博多に行くには、筑豊本線で原田に出て博多駅に行っていました。それ以外はバスでしたが、高校生の頃篠栗トンネルができて電車で行けるようになりました。電化されたのはずっと後ですが。筑豊線はボロボロのディゼルカー一両のワンマンカーでしたが、昔は蒸気機関車に引っ張られて、冷水トンネルに入ると煤が入らないよう一斉に窓を閉めていました。高校生の頃、朝のテレビを見ていると時々北海道での蒸気機関車が放映されていましたが、それを見た友人は、「ちっとも珍しくない、オレは毎日乗っている」と言っていました。

コロナが治まったら行きたいところがたくさんあります。早くコロナも、そしてウクライナの戦争も終わってほしいと願っています。